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【 君を想う 】  


「敵……?」
「彼は鬼城を憎んでいた。……いや、憎むしかなかったのだろう。鬼城を倒せばマホロバを救えると、それが自分の役目だと……そう信じていた」

 鬼城の敵。かつての瑞穂藩がその最たる例であった。今でこそ瑞穂睦姫の元幕府の方針に従っているが、旧藩主は瑞穂の藩主である一方でマホロバに戦禍を齎したエリュシオン帝国第四龍騎士団の団長でもあったのだ。

「あなたの大切な方って、もしかして……正識(せしる)さん?」
「…………」

 黒龍は無言で一口茶を含むのみであったが、否定はしなかった。湯呑を置くと、残っている茶の表面を見つめながら静かに語った。

「出会った時は、強い瞳(め)をした人だった。事実、その力も『神』として申し分無いものだった。ただ……何かに苦しんでいた。それが何であったのか、私にはわからなかった」

 押し殺しきれない感情が、表情としてその顔に現れていた。切なさと悔しさの入り混じった顔を格子窓の外へと向けると、彼は小さく付け加えた。

「全てを知ったのは……全て、終わった後だった……」

 わずかに震える声と共に、湯呑に触れていない彼の左手が強く握り締められていた。語る言葉が少なくとも、その手が白くなるほどの強い力に彼の想いが痛いほど伝わってくるようだった。後悔、絶望、無力、寂寞、恋慕……一言では言い表せない感情の渦は、かつてルディも経験したことのあるものだ。自身のそれと全く同一であるとは言い切れないが、この『痛み』がそれに近いものであることは確かだった。
 固く握られている黒龍の手を両手で包むと、解すように優しく尋ねた。

「後悔、してらっしゃるのですね」
「彼を……助けられなかった。この手が、届かなかった」
「……私は、後悔はしておりませんわ」

 ルディの言葉に、黒龍がわずかに首を動かす。

「貞康様とお別れして寂しいのは確かですわ。この世のどこにも、もうあの方はいらっしゃらないのですもの。あの方がいらっしゃる間に私には何ができたのかと悩むことも多いですし、これから先もこの気持ちが消えて無くなることは無いでしょう。……けれど」

 ――傍にいられるだけで、幸せでした。

 寂しい気持ちはあるけれど、最後にはいつも彼と過ごした温かで幸福な時間だけが残る。この想いをいつまでも胸にこれからを生きていこうと、貞康に恥ずかしくない生き方をせねばならないと、ルディは心に決めていた。

「黒龍さんは、どうですの?正識さんと共にいることを選んで、後悔してらっしゃるのかしら?」
「……私はただ、見たかったのだ。彼が目指す『正しい』世界を、彼と同じ目線で。その意味では後悔はしていない。」

 ただ、と珍しく言いにくそうに黒龍は視線を落とす。

「幸せだったかは……わからない。仮に幸せであったとしても、私にはその感情が理解できない。それに……幸せと言うよりは、常に歯痒かった。わかる故に、わからないことが多過ぎて……何もできなかった」
「それでも、傍にいたかった。……そうですわよね?」
「…………」

 黒龍の沈黙は肯定の意だと、ルディもわかるようになってきた。幸せの感情が理解できない故に何かと理由や他の事情を並べたがるが、つまりは。

「ならば、それで宜しいのではなくて?」
「?」
「傍にいて、何かしてさしあげたかった。同じものを見たかった。黒龍さんは充分、正識さんのことを想っていらしたのですわ」
「……、…………」

 大切な相手だと認めてはいても、改めて他人に言われると困惑するのか。それとも自分ではそう意識していなかったのか。あからさまに頬を染めて混乱しつつも口許を袖で隠して表情を隠そうとしている黒龍の様子は滑稽で、思わずルディも笑みを零してしまった。

「……」
「あら、私ったら申し訳ありませんでしたわ」
「人の醜態を笑うとはいい性格をしているな」

 黒龍が睨んでくるが照れ隠しに必死な状態で言われても全く威圧感は無く、むしろルディは彼の様子に心が和んでいくのを感じた。

「今のあなたの様子を、正識さんに見せて差し上げたいですわね」
「見せてどうなる。第一彼はそのような趣味は無い」
「もう一度彼に会うことができますわよ?」
「出来もしない事を言うな。それとも後を追えとでも?」
「……同じですわ」

 自分の手で包んでいた黒龍の手はいつの間にかすっかり力も抜けて解れており、またルディに包まれていたことで温もりも取り戻していた。彼女は微笑んだまま手を離すと、自分の湯呑を両手で取って一口茶を含んだ。

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