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【 夢の跡形 】  


 細い音が聞こえてくる。昨夜も夜通し聞こえていた音だ。
 いつ聞いても不思議と耳障りには聞こえない、なぜか常に懐かしさの様なものを覚える音色。
 既に空気に等しいほど幾度となく聞いてきたその音の主は、昨夜から衝立越しにこの部屋にいた高 漸麗(がお・じえんり)のものだ。

「……」

 彼の音が聞こえてきたことで、不本意ながら現実に引き戻されてしまった。せめてもの抵抗に瞼だけは開けない。昨夜と同じ音であるのに、この腕の中の温もりだけが感じられない。それが示す現実を、まだ認めたくない。
 それでも音は鳴りやまない。「戻っておいで」と言わんばかりに優しく、しかし確かな旋律を奏で続ける。既に思考は覚醒している。あとは目を開けるだけだ。それでも、開けたくなかった。

「……やめてくれ」

 つい、口を開いてしまった。その声に我ながら驚かざるを得なかった。寝起きとは言え掠れ過ぎている事と、呼吸が苦しい程に震えている事に。

(……!?)

 気付けば、自分の目から冷たいものが流れていた。横向きに寝ていた体勢に沿うまま、目から流れ出たものは布団をわずかに濡らしていた。

(泣いて……いた、のか?)

 涙を拭おうと腕を僅かに動かした時、すぐ傍から声がした。

「おはよう、黒龍(へいろん)くん」

 いつの間にか、彼は衝立の向こうからこの布団の傍へと移動していたらしい。流石に寝顔を晒し続ける気にはなれなかったので諦めるように目を開けた。
 そこにはやはり、『彼』の姿はなかった。代わりにあったのは、どこから舞い込んだのかもわからない季節外れの桜の花弁。

「……ずっと、起きていたのか」

 この声の掠れと震え具合は何とかならないものかと思いつつ、その花弁の一つを手に取った。

「……どうだろうね、もしかしたら途中から寝てたのかも。でもあなたよりは早く起きてたよ」

 それくらいはわかる。だからこそ朝から筑を奏でていたのだろう。

「途中から寝て……黒龍くんと同じ夢を見てたのかもしれない。正識(せしる)さんと、話をしたよ」
「!」

 同じ部屋にいたとは言え、二人が同じ人物の夢を見るとは偶然とは思えない。問い詰めるため慌てて起き上がろうとして、己の体の異常に更に驚く。

「……ッ!」

 体の節々が痛い。全身がだるい。体に力が入らない。
 特に下半身に残る鈍痛が酷い。

「大丈夫黒龍くん!?」
「……夢、では……無かったの、か……?」
「……さあ、どうかな」

 その目にはほとんど何も見えていないくせに、まるで今の状態を見ているかのように悪戯っぽく笑むと手を彷徨わせて頬に触れてきた。

「無理はしないで。今日はゆっくりしてるといいよ。少なくとも僕が起きてた間は特にうなされてなかったし、気持ちの面では大分落ち着いたんじゃないかな。身体はキツいかもしれないけど」
「……わけが、わからない……」

 促されるままに再び横になるものの、得心がいかない。
 この体の痛みは現実のもの。だが、正識がここにいるはずがない。それは誰より、目の前でその瞬間を見ていた自分が一番知っている。

(……まさかとは思うが)

「昨日、誰がここに来ていた?」

 正識ではない誰かを、そうだと思い込んでいたとしたら……?

「正識さん以外の人が、あんな事言うとは思わないけどな」

 しかし返ってきた答えはあっさりとその可能性を否定した。

「伝言預かってるんだ。その正識さんから」
「!!」

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